最近、ずっと昔にこんな事言われてたけど、それはこういう事だったのか、とわかるよう事が多くなってきた。
例えば、初めての合宿で、ヴィルジール先生に「open」としきりに言われた。その時は気持ちをopenなのかな?としか、実は思ってなかった。
でも、それだけでも音色が変わったので、そういう意味もあったのかもしれないし、そう思ってやっただけで、望まれたことに近いことが出ていたのかもしれない。でも分かってはいなかった。
この夏にまた合宿に参加した。その時に、星矢先生から、私がふわふわした音なのが気になるという指摘された。それは腕を動かして演奏してるからでは?腕を動かさないように演奏してみてください。
と言われて、そうならないように努力した。そしたら、あれ?これがヴィルジール先生の言ってたopenってヤツ?と思った。
5年前に言われたことがやったわかった瞬間だった。
そして、星矢先生から顔を左肩はなるべく距離を取るように、とも言われていた。意味もわからずそれをやった。そしたら確かに音がよくなった。でも、どうしてそうすると音がよくなるのか、まったく理解してなかった。
けど、最近、自分にあった奏法をみつけていくなかで、左肩にめちゃくちゃ力入っていたことに気がついた。だから喉がしまってたし、だから左手の指も回りずらくなってたし、だから練習しすぎると左肩が痛くなっていた。
こちらは7年くらいかかったかな?(笑)
そして、この夏、ハンガリーから帰国していた菅野力さんのレッスンを受けた。その時に、お腹のささえってこんなだったんだって、まだまだだったとわかった。
ほんとにお腹から息が出てるだけ。星矢先生にもフルートは体が大きな土管でお腹から息が出ているだけ(つまり他は余計な事は何もしない)、そんな感覚だと言われていたけど、確かに、そんな感覚だった。なるほど、これかーー!!と思った。
これは一体何年かかっただろうか(笑)
記憶にないくらい前から息のささえは言われてつづけていたので、初めてならったのは24年前なので、24年かかったことになるのかな。
今は言われていることが分からないかもしれない。でも、こんな風にいつか、突然、これだったのかと気がつく日がやってくる。
これは楽器だけでなく、すべての事に言える。
あの時、あの人にあんな事言われて、ものすごく不愉快だったし、余計なお節介だと思ったことも、後になってみると、ああ、あれは本当にその通りだったな、なんて思う事もある。だから、私は余計に不愉快に思ったんだろう。
人は自分が気にしている事を言われると不愉快に思う生き物だから。
例えば、誰かが私にデブと言ってきても、私は全く気にしない。デブではないからだ。
へたくそだと言われても、今は、フン!お前よりはうまいわ!!だいたい、まだまだだと思ってるから習ってんだ!うるせー!で終わる。
けど、昔の私なら、傷ついて凹んで泣いたりしてただろう。それは自分が一番へたくそだと思っていたからだ。
この時、それを認めていたら、つまりは自分が下手だからそう言われるのは当然だよね、と認めていたら、もっと早くにダメな部分に気が付くことが出来ていたかもしれない。と最近思う。
どんなに腹が立つ意見でも、一度、そうかもしれないと受け止めて、その上でやっぱり違うと思ったり、違和感あるならやらなければいい。それだけだった。
あらゆることを一旦素直に認める
受け入れる
自分が出来ないことも出来ることも、すべて、ああ、私ってこういう人間なんだなって一旦受け入れる。
これ、ってとても難しいけど、とても大事だなとつくづく思う。
それが出来れば、人生がかなり変わるのに、心の奥底で拗ねた自分が素直になりたくないと邪魔をする。自分が幸せに生きるためには、この拗ねた自分と常に戦わなくてはいけない。つまりは、自分が最大の敵というわけだ。
時にはそうする事にとてつもない恐怖を感じることもある。それでも、幸せになりたいなら、うまくなりたいなら、恐怖を感じつつも、自分と戦っていってみるといい。
いつか、ああ、こういう事だったかと気がつき、目からうろこな日が訪れるだろう。その時がいつかは分からない。一生来ないかもしれない。でも、やらないと100%来ない。だから、その時を夢みて日々、努力していってもらいたい。