私のこと

私の笛人生

投稿日:2015年2月24日 更新日:

ファイフという横笛を小4から始める

私が横笛を吹き始めたのは小学校4年生のとき。鼓笛隊に入ってファイフというピッコロに近い楽器を吹いていた。とはいえ、リコーダーは大好きでファイフをやり始める前から暇さえあれば吹いていた記憶がある。

中学になってクラブ選びの時に、絶対、吹奏楽部に入るぞ!!と思っていたけど、楽器はなんでもよかった。でも、仲の良かった友人がフルート一緒にやろうって言うのでフルートを選んだ。それだけだった。

フルートはその時、一番高い倍率だった。だから、オーディションがあった。といっても、楽器を吹いて音が鳴るか、ってだけのものだった。私はなんなくオーディション合格。しかも、あまりにもうまいからとピッコロも担当になった。

高校になり、高校の吹奏楽部には入らず、市民吹奏楽団に入った。でも、市民吹奏楽団だとコンクールが毎年出れてしまうんだよね。
 

なので、全然、熱くなくて、さっぱりしすぎて、それが物足りなくて、青春したくて高校の吹奏楽部に高2から入った。

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ちなみに、高校でのメインのクラブは地学部。天文とか気象とか今でも、好きなんだよね。天気なんか天気図を見て自分で予想するヲタクぶり(笑)

大学では吹奏楽サークルに

そうして大学に入り、別の学部の子が吹奏楽部サークルを立ち上げたというので、そちらにも所属。(人数が少なかったので、サークルだったのだ。今では立派に吹奏楽部になってる)

文化祭や学校で演奏会をやったり、新しく学校の駅ができからと、その記念イベントで授業欠席(公欠)して演奏したりとほんとに楽しかった。

大学は短大で英語英文科で英語を勉強していた。本当は音大か美大に進みたかった。でも、母子家庭だったからお金がなくて無理だった。なので、消去法で英文科になった。後、中2の時にニュージランドの旅行番組を見て、あまりの自然の素晴らしさにどうしても行きたい!と思っていた。なので、そのためには英語は必須だったのもある。

1年間、バイトをアホほどしてお金をためて、ニュージランドに1か月ほど語学留学に行った時には本当に感激したよね。


↓写真はクライストチャーチ郊外で撮ったもの(誰だこの人)

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短大卒業後は、ホテルのフロントに就職



就職はホテルを選んだ。なぜかというと、英語を使う仕事がしたかったから。バブル経済真っただ中だったからなのか、シフトの希望がほとんど通った。だから、働きながらもずっと吹奏楽を楽しむ事が出来合。

そうして、何故か21歳で結婚。そんなに早くなくていいと思っていたのに。結婚なんて30歳くらいでいいと思っていたのに。

本当に人生とは思いもよらない。

大阪に引っ越してからも、吹奏楽団体に所属しフルートを楽しむ。やがて、子供が生まれ、それでもなんとか吹奏楽をやってた。


が、独学の壁にぶちあたってしまったのだ。どう頑張ってもそれは乗り越えられず、悩んでいたら、友人に習ってる先生を紹介してもらい、プロの先生につくことになった。

本当にこの時は衝撃だった。たった1時間で自分の音色が代わり、今までの13年間やってきたのは何だったんだろうって思った。

人生のターニングポイントがやってくる

そうして、習い始めて2年後に人生のターニングポイントがやってくる。ベルリンフィル首席奏者、エマニュエル・パユ氏との出会いである。

↑当時に近い年齢のを探してみた


はじめて、聞いた演奏はモーツァルトの協奏曲G-dur。

なに、このひと、うますぎるっっっ!
なに、この音色っっっ!
なに、このまるで演技してるかのような表情は!
なに、この男前!(笑)

すっかり、メロメロになってしまって(笑)、彼の演奏会に行くことに。それは、忘れもしない、1999年の秋。初めての本格的なクラシックなコンサートだった。

その時の演奏は、一生忘れない。とにかく、完璧だった。それ以外、感想ない(笑)

あまりにも素晴らしすぎて、あんな風に私も吹きたくって、ああなれなくても近づきたくって、それからがむしゃらに練習するようになった。
 

30歳を超えてようやくフルートを教え始める

そうしてそのころ、友人から一人の高校生の子を教えてほしいと頼まれて教え始めるようになったのだった。

この頃、実は、パソコンインストラクターなんかもやっていた。情報アドヴァイザーなんて名前で高校の先生に講義したりして、何やらとても気持ちよかった。

で、はたと気が付いた。

ひょっとして、私は教える仕事が好きなのか?

じゃあ、フルートで教えることをもっとやってみようか、と思った。専門で勉強した英語はなく。今でも何故その選択をしたのかは謎である。

そうして、ある日、フルートのイベント演奏で、プロの部に出るという信じられない日がやってきたのだった。

その記念の演奏会のCD↓私の名前も記載されている。


このフルートフェスティバルの、プロの部のコンサートマスターは伊藤先生(元京都市交響楽団首席奏者)、私の前の席は中川さん(当時の京都市交響楽団現役奏者)だった。

なにこれ現実なの?

と思ったものだ。この演奏会で舞台に上がるときのアナウンスは今でも忘れられない。

「いよいよ、お待ちかね!プロの部です!!」

これを聞きながら席に着くとき、ウルウルきて泣きそうになった。ま、この時の私は、プロとしてふ化したてのひよこ状態だったので、とにかく必死!そんな状態で演奏だったけどね。でも、本当に楽しかったし、嬉しかったし、貴重な舞台だった。

その後は、ホームページを立ち上げて生徒募集を初め、ポツポツつくる生徒さんを教えながら、母親業を優先しつつ、まだまだ未熟な自分の腕前を上げるために、地元でリサイタルを行ったり、演奏する機会があれば積極的に参加したりした。

そうして、子供が中3の終わり。そろそろ本格的に活動を開始しようと、心機一転で、ホームページを作り替える。それが、今のこのホームページである。

私のフルート人生これから!がんばる!

なんて思ってた。けど、その年にアレが起きた。

東日本大震災だ。

しばらくは、新しい生徒こないだろうとは予想はしてた。けど、1年たっても問い合わせなし。そこで思い切って、今の駅前の場所に教室を持つことに。それでも、まったく反応なし。スタジオの維持にお金かかるし、自分の音楽の勉強にもお金かかる。

丁度、このころは、元旦那と価値観の違いに夫婦生活をもう続けられないと思った時期でもあった。

この頃の生徒は確か5人。これじゃ食っていけない。
 

音楽は諦めて塾の講師を目指す

だから、音楽は諦めて、塾の講師のバイトに入った。そのうち、社員になれたらと。この時に私にできることは、勉強を教えることだけだったから。

塾では、英語を教えたかったんだ。でも、うちは講師、全教科教えるのが基本だからとか言われて、必死で苦手な数学も勉強した。

受験生が担当だったので、その子たちを面倒見るために他の教化もその都度、勉強した。そんなに他の教科まで必死に勉強してたの私だけだった。

だからなのか。2年目からなんと数学担当になってしまった。

なんで???

と思った。けど、努力を認められたってことだし、苦手な数学でも、やっているうちに出来るようになっていき、過去の数学出来ないコンプレックスの自分から解放されていったから、この時、頑張って良かったなとは思う。それに何より、この時、頑張ったらから、後々に自分を助けることになったのだから。
 

そんな数学担当になった2013年の春のこと。第8回神戸国際フルートコンクールがあった。久しぶりに戻った音楽の世界はめちゃくちゃキラキラしていて、久しぶりに会うフルートの仲間も、とっても輝いていてまぶしかった。
 

「私、この世界を捨てれない。私も輝きたい」

そう強く思った。だから、塾をやめ合わないウェイトレスをしてお金を貯めることにした。

音楽の世界に戻ることにした

そうして、しばらくたったある日、とある中学生のフルートの生徒さんがうちに体験レッスンやってくる。当時は教室に英語などの勉強用の問題集が置いてたりしてたから、付き添いのお母さんから、どうしてそんなものがあるのか聞かれた。

そうして子供たちが通っている塾の悩みを聞くことに。どうも子供たち3人ともがその塾が合わなかったらしい。

「塾講師だったし、息子やその友達教えたりしてたので、よかったら教えますよ!」と冗談半分に言ったら、「じゃあ、お願いします!」と、その帰りに塾に退会届を出して来られた。これには、本当にびっくりした。

この時から、完全フリーの心地よい生活が始った。そして、その次の年の2014年の2月に離婚。ある程度貯金していたとはいえ、経済的にやっていけるのか不安で仕方がなかった。

だから、いくつかのビジネス講習会に参加した。そして、カウンセラーの資格も取る。この頃から物事がよい方向へ向かっていった。

勉強を教える収入と音楽の収入が逆転したときはほんとに嬉しかった。

が、コロナという前代未聞の事態に直面する。生徒様も激減し、思うように活動が出来なくなった。本当につらい日々だった。けど、そんな中だからこそ、演奏することが本当に好きだということに気がついた。

なので、音楽にちゃんと向き合っていこうと、2021年6月から定期レッスンを再開し、2022年には、初の重量級のプログラムのリサイタルを行い、念願だった大阪国際コンクールの管楽器の部の音大卒以上の部にてファイナルに進出もした。そんな私の上達と共に生徒様もどんどん上達するという、嬉しい現象も起きている。

そして、2023年2月で、副業をやめて、3月から念願の音楽一本の道を歩み始めた。

私の笛人生はまだまだ続く。どんな人生が待っているのか。とにかく、私のたどり着きたいところに行けるように、これからもコツコツ頑張っていこうと思う。

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